ジャニーズ事務所の名誉会長で、2019年7月に亡くなったジャニー喜多川前社長(享年87)の姉のメリー藤島(めりー・ふじしま、本名藤島メリー泰子=ふじしま・めりー・やすこ)さんが14日午前7時35分、肺炎のため、都内の病院で死去した。93歳。米ロサンゼルス出身。葬儀・告別式は故人の遺志で親族のみで行った。お別れ会の予定はない。ジャニーさんとともにアイドル帝国を築き上げ、芸能史に大きな足跡を刻んだ「女帝」だった。
1962年の創業時から、ジャニーさんとともにジャニーズ事務所をけん引したメリーさんが逝った。
親しい知人によると、入院先の病院で元気に過ごしていたが、亡くなる数日前に体調が急変。一人娘で現社長のジュリー藤島氏(55)ら親族にみとられて息を引き取った。新型コロナによる肺炎ではない。17日までに所属タレントが最期の対面を済ませ、葬儀・告別式が同日に営まれた後、事務所の公式サイトで発表された。
ロサンゼルスにある高野山真言宗米国別院の僧侶、喜多川諦道氏の長女として生まれた。3人きょうだいで、すぐ下の弟は科学者の道を進み、末弟がジャニーさん。メリーさんが7歳の時に母親が亡くなり、母親代わりで2人の弟の面倒を見た。日本に戻った後、東京・四谷でバー「スポット」を開業。ジャニーさんが事務所を設立すると、メリーさんもバーを閉店し入所。副社長として経理を担当するとともにスタイリストなども務めた。
当初は自ら生地を買い、針と糸を手に衣装を製作。米国のアイドルを参考にしながら、メンバーの髪やスタイルに合わせた色や形の服を考案した。ド派手なデザインは、着物が一般的だった60年代の歌謡界で革命的だった。ジャニーズやフォーリーブス、たのきんトリオなどの衣装を手掛け、光GENJI以降はジュリー氏がスタイリストを務めた。独特の衣装やメンバーカラーの発想は、日本のアイドル文化として今も根付いている。
アイドルビジネスのモデルケースもつくり上げた。グループごとにファンクラブをもうけ、原則会員のみがコンサートチケットを購入できるシステムを構築。総会員数500万人と言われるファンクラブを軸に、年間売り上げ1000億円超と言われる帝国を築いた。
古くからジャニーズを知る芸能関係者は「ジャニーさんがプロデュース業に専念したのに対し、経営の実権はメリーさんが握っていた。70年代には事務所のピンチもあったが、見事に乗り切った」と語る。明るく常に前向きな性格で所属タレントから母親のように慕われる一方、タレントの出演交渉やスキャンダル対応でらつ腕を振るい、事務所の方針や決定に従わなかったタレントに厳しい姿勢を見せた。
15年には週刊文春のインタビューで「私と対立するならSMAPを連れて出て行ってもらう」と、当時のSMAP担当の女性マネジャーに怒りをぶつける騒動もあった。これが解散の引き金になったと言われた。
19年7月にジャニーさんが死去したのを受け、同9月に代表取締役会長に就任。新体制を支えたが昨年9月に代表権のない名誉会長に退いた。思い入れが強かった近藤真彦(57)が今年4月末に事務所を退所し、それから4カ月足らずでの訃報。ジャニーさんとともにつくり上げたアイドル文化は、残された者に引き継がれる。
◇メリー 藤島(めりー・ふじしま)本名藤島メリー泰子(ふじしま・めりー・やすこ)1927年(昭2)12月26日生まれ、米ロサンゼルス出身。日本に戻った後、知り合いの紹介で大阪松竹少女歌劇団に出入りし、戦後は駐留軍の慰問公演を行う同劇団の通訳を務めた。その後再び渡米し、ロサンゼルス市立大学を卒業。バー「スポット」の客だった東京新聞記者(のちに作家)の故藤島泰輔氏と結婚し、66年にジュリー氏をもうけた。
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