東映会長の岡田裕介(おかだ・ゆうすけ)さん(本名岡田剛=おかだ・つよし)が18日午後10時58分、急性大動脈解離のため東京都内の病院で死去した。20日、同社が発表した。71歳だった。
通夜・告別式は近親者で密葬として執り行い、お別れ会などを後日、開催予定だという。
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関係者によると、岡田さんは亡くなる直前まで吉永小百合(75)の主演映画「いのちの停車場」(成島出監督、21年公開)製作の陣頭指揮を執っていた。現場の社員とも密に連絡を取り合い、叱咤(しった)激励を続けていたが、18日に自宅で倒れ、救急搬送されたが急逝したという。社員に訃報が知らされたのは20日午後だった。
岡田さんは、“映画界のドン”と呼ばれ、11年に亡くなった岡田茂名誉会長(享年87)の長男。慶大在学中の69年に俳優デビューし、2年時の70年には映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」(森谷司郎監督)の主人公薫役のオーディションに応募し、5500人の中から選ばれ映画デビュー。東映のライバル東宝の映画に主演、しかも俳優として契約したことが話題となった。
74年には、岡本喜八監督から映画「吶喊(とっかん)」の主人公・万次郎役との兼任の形で指名されて、プロデューサーに転身。吉永が高倉健さんと初共演した映画「動乱」(森谷司郎監督)など、吉永の主演作を多数プロデュースした。
88年11月に東映に入社し、92年に取締役、02年に社長に就任。14年には東映グループの会長と日本映画製作者連盟(映連)の会長、20年に日本アカデミー賞組織委員会名誉会長に就任し業界の顔として活躍した。
9月11日に東映東京撮影所で行われた「いのちの停車場」会見では、記者の囲み取材に応じた。コロナ禍で映画の公開延期が相次ぐ中「みんな(製作を)頑張っている。(公開時期は)一番いいところに置きたい」と意欲を見せていた。最後まで映画人として駆け抜けた人生だった。
◆岡田裕介(おかだ・ゆうすけ)1949年(昭24)5月27日、京都府生まれ。都立日比谷高から慶大経済学部に進学。東大紛争のあおりで休講が続く中、京都のバーでスカウトされ69年にNETテレビ(現テレビ朝日)系「レモンスカッシュ4対4」で俳優デビュー。出演した主な映画は75年「実録三億円事件 時効成立」(石井輝男監督)、86年「火宅の人」(深作欣二監督)。主なプロデュース、企画作品は88年「華の乱」(深作欣二監督)、05年「北の零年」(行定勲監督)、18年「北の桜守」(滝田洋二郎監督)など。
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