俳優の吉沢亮が主演を務める大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第4回「栄一、怒る」(脚本:大森美香 演出:村橋直樹)を見て思ったこと。栄一(吉沢亮)の「承服できん」(「承服」とは承知して従うこと)を流行らせたい。
栄一は商いに興味をもって、村人たちの寄り合いの仕切りや、父・市郎右衛門(小林薫)の名代として岡部藩の代官・利根(酒向芳)の御用聞きに行くなど、一人前の活躍を任せられる。自分で商いの仕組みを考えるようになった栄一は、代官が百姓に高価な御用金をたびたび要求してくることに、それこそ「承服」できない。「その道理はどっから生じたものなんだ」と怒りがこみ上げる。
500両の御用金について、父に聞かないと自分ではわかったと言えないと意地を張る栄一の、一歩も引かない、むしろ代官が怯むくらいの強烈な濁りのない目ヂカラは圧巻だった。
だが、結果的には、「泣く子と地頭だ」(道理の通らない者と権力者には何を言っても無駄)と父に言われ、土砂降りの雨のなか500両の御用金を届けにいくことになる。悔しさと、せめてもの心からの訴えも聞いてもらえなかった絶望が、雨によって一層募って見えた。
1両の価値は時代によって数万円から数千円と流動的だが、いずれにしても500両は数万円の寄付という雰囲気ではなく、もっと重い。
ドラマの時代は江戸末期嘉永6年1853年。テレビを視聴している側は令和3年2021年。時代は150年と十数年離れている。これを近いと思うか遠いと思うか微妙なところ。それはともかく、いまちょうど確定申告の季節ということもあって、収入と税金のことを考える機会も多いなか、栄一の疑問は共感できる。我々はたびたび御用金を要求されているわけではないが、税金や国民健康保険が引かれると手元に残るのは微々たるもので、なんで~と思ってしまうのだ。
渋沢栄一は「民の繁栄が、国の繁栄につながる」思いのもと “近代日本経済の父”と呼ばれるような働きをして、2024年には一万円札にその肖像が使用されることになっている。つまり、お金の大切さの象徴のような存在なのである。
「民の繁栄が、国の繁栄につながる」は、ドラマのなかでは母から学んだ「みんなが嬉しいことがいいこと」につながっているのだろう。
第4回の栄一の目覚ましい活躍は、村で藍をつくる人たちの番付をつくって競争意識を高めることで、より良い藍をつくるように仕向けるところ。競争社会を煽っているようにも思うが、年功序列で上の者が根拠なく威張っているより、いい仕事をしたら若者でも大関として褒められる実力主義は健全である。寄り合いの席で常に上座だった古株の角兵衛(渡辺哲)よりもいい藍をつくった若者・権兵衛(永野宗典)が上座に座り、角兵衛の機嫌が悪くなるかと思ったら、次はがんばると前向きになって村中が盛り上がる場面は気持ちがいい。
「また栄一がしでかしたかと思った」という一瞬、不穏な雰囲気になって、ドキリとさせたあと、ホッとさせる仕掛けだった。たいてい、こういう場合、古株が機嫌を損ね、権兵衛や栄一に嫌がらせするものだが、そうではないところがいい。村は皆結束し、争うのは代官と栄一だけと、シンプルな構造になっている。
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